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   ◆遺棄化学兵器(毒ガス)問題とは◆

① 遺棄された経緯

 日中戦争以来、日本軍は中国を侵略し、中国東北部に軍隊を進めていました。そして、1925年にジュネーヴ議定書において、戦場での毒ガスの使用が禁止されていたにもかかわらず、ソ連との戦争に備えるために、毒ガスを製造し、配備していました。

 瀬戸内海の大久野島には陸軍の毒ガス製造工場、神奈川県の寒川には海軍の毒ガス製造工場がありました。こうして国内で製造した毒ガス兵器を中国などに配備し、実際に戦闘で使いました。中国東北部には化学兵器部隊(チチハルにいた516部隊が代表的)が配備され、大規模な演習が繰り返されました。

 そして、日本敗戦前後の時期になると、それらの大量の化学兵器は、中国の大地に埋められたり、河川に投棄されたりなどして、組織的かつ秘密裏に遺棄されました。また、日本政府はそれら兵器の場所を特定することは難しいとして、除去などの未然防止に努めようとしません。そのため、中国国内には、今なお70万発以上の大量の遺棄化学兵器が存在しているといわれています。さらに日本国内でも、化学兵器が遺棄されました。

② 遺棄毒ガスによる被害

 これらの遺棄毒ガス兵器の存在は明るみに出ることがないまま、戦後、化学兵器であることを知らずに触れたり、晒されたりした多くの中国と日本の人々に甚大な被害を与え続けています。化学兵器による被害は、皮膚の糜爛(びらん)をはじめ、呼吸器・消化器・神経など全身に症状が及びます。

 呼吸器障害などの症状は、時間の経過とともに悪化していること、さらに後発的な健康被害として、発ガンのリスクも高くなることが指摘されています。そして、毒ガス被害者が最も苦しんでいる症状の一つに高次脳機能障害や自律神経障害などの神経障害があります。いつも体がとてもだるい、力が入らないなどの症状で働けなくなったり、学業を続けられないほどに至っています。しかし、こうした症状は外見からは分かりにくいため、怠けているなどと誤解され、孤立してしまうケースが多くみられます。

 たとえ一命を取り留めても、被害者たちは、こうした健康被害のみならず、友人や家族を失ったり、働けずに困窮生活を強いられたり、あるいは就学できずに将来の夢を失うといった、全人生にわたる被害を受けています。戦争の被害は、実は今も現在進行形として起こっているのです。

③ これまでの被害者との歩み

 私たちは、中国黒竜江省ハルビンで6回にわたり、集団検診を行ってきました。(2016年9月現在)これらの検診活動を通じて、先に述べたような症状を明らかにしてきました。そして、近年では日本の医師らと中国の医師が協力し合い、日中合同検診を徐々に実現してきています。

 その一方で、被害者たちは、生活苦のため適切な治療を受けることができていません。ガンなどの病気を発病しながら十分な治療を受けられずに命を落とす被害者もいます。検診では限界があります。被害者たちが少しでも健康・生活を取り戻せるような実質的な医療支援、生活支援が必要不可欠です。一日も早く、被害者たちが全うな医療を受けることができるよう、NPO法人化学兵器被害者支援日中未来平和基金の設立に至りました。

背景写真|曽根工場跡地© Naomi TOYODA